Dec 10, 2008
交通事故の目撃チラシ
朝車で出勤途中の信号待ちをしているときに警察がいて、迂回するように指示していた。交通事故あったようだ。職場に到着した時だけで、自動車事故の話題が出ていた。ひき逃げ事故だった。翌日職場に警察が来た。昨日の交通事故の目撃情報を捜していた。チラシを職場に置いて行って、推測があれば連絡を与えることだった。よほどのことがないかぎり、人生で一度は車を運転することができると思う。そんな車の場合、廃車されるとすると、考えてみた。車好きの人もいて、それだけで通勤通学他の足として使用している人もいるだろう。さまざまな理由で車に乗るのかがあれば、一度乗った車が廃車ということになれば、寂しいことだと思う。
2011年9月18日、僕はチェルノブイリ原発事故が起こった区域に行ってきました。
【事故から25年、チェルノブイリ原発ツアーに参加してきた】
最初に述べておきますが、僕は専門家ではないですし、原子力などについてガッツリ学んだわけでもありません。それを前提にお読みいただければと思います。
チェルノブイリ原発跡があるウクライナという国名はあまり耳慣れないかもしれませんが、旧ソ連圏の国の1つで、1991年に独立を果たしました。ウクライナの西側はポーランドなど東欧諸国とつながっており、東側にはロシアがあります。日本との時差は7時間。ウクライナのWikipedia(外部リンク)を読むと、この国の厳しい歴史がうかがえます……。
さて、ウクライナに来た理由。旅を始める前は、ウワサに名高い「世界有数の美女大国」の実態調査を目的にしていました。
……が、もちろん今は異なります。東日本大震災が起こり、福島第一原発がメルトダウンを起こし、レベル7という最高危険度に陥りました。福島第一原発事故以前、レベル7の事故が起きたのはここチェルノブイリ原発しかありません。
チェルノブイリ原発事故が起きたのは1986年4月26日。その時、僕はまだオギャーオギャー泣き叫ぶ赤子でした。当時のことは何一つ覚えていません。世の中がどれほど騒ぎになったのかも知りません。
ただ、僕は1人の日本人として、人間として、チェルノブイリ原発事故のその後に興味関心を強く持ったので、ウクライナを訪れることに決めたのです。
●ウクライナ人はチェルノブイリに行かない
ウクライナに到着して思ったのは、予想以上に発展していたことです。地下鉄が整備されていて、首都キエフの街中には3本の地下鉄が走っています。10分も待たずに次の地下鉄がやってくるので、交通は非常に便利でした。
ただ、街中の看板などはキリル文字表記なので、読み方も発音もサッパリ。でも、来年にポーランドと共にサッカーのUEFA欧州選手権2012を開催するので、その時までには色々と英語表記なども加わって便利になることでしょう。
ホテルにチェックインをして早速、チェルノブイリ区域へのツアーを調べてみました。僕が到着したのは水曜日だったのですが、週末に行われているのか、「金土日の日程が空いている」と言われました。ウクライナ滞在中の予定を組みたいと思っていたので、水曜日はとりあえずツアーは申し込まずにおきました。
同じ宿にいたドイツ人の女の子と仲良くなったのですが、彼女はウクライナにやってくる鉄道の中でウクライナ人男性と仲良くなったそうです。しかし、彼には「チェルノブイリに行くことはおすすめしない」と言われたそうです。その影響もあって、彼女は僕にも「行かない方がいい」と忠告してくれました。「今、チェルノブイリ原発を覆っているシェルター(石棺)は老朽化していて、いつ壊れるのか分からないのよ! 放射線が漏れているかもしれないよ!」と。
実際、ウクライナ人はみんな、チェルノブイリ区域には行かないそうです。好き者の観光客やジャーナリストや研究者ばかりが興味を持つとか。
確かにツアー中にシェルターが朽ち果てて、放射線がドッカン来るリスクはあるが、それはのみ込もう。最近チェルノブイリに訪れた人のブログなどを自分なりに確認し、現在の放射線量なら問題ないと判断して、僕はツアーに参加することに決めました。そのためにウクライナに来たのですから。
ところが、木曜日になってツアーに申し込んだら、すでに金土は満員とのこと。驚いた、「人気あるのか?」と(最大15人のツアーなので、そこまで需要はないことは確か)。
ほかに選択肢がないので、日曜のツアーに申し込みました。バスで1日巡るツアーで、料金は160ドル。高い……、これは金持ち先進国の人にしか支払えない金額……。
●“ゾーン”に入るのは自己責任で
ツアー前日の土曜日に、ウクライナ人たちとのフットサルに参加したため、僕の両足は筋肉痛マックス。当日は8時45分に独立記念広場の前に集合なので、朝起きてから筋肉痛の足をひきずるようにしてたどり着きました。服装は長袖長ズボンで、放射線の影響を受けないように心がけました。
集合場所で周りを見渡すと参加者が18人くらいいる。あれ、最大15人じゃなかったっけ?
すると、18人のうちドイツ人の3人は、前金を払ってオンラインで申し込んだものの、ツアーガイドが把握していなかったようで、「聞いてないぞ」ということに。結局、彼らは定員オーバーのために参加できませんでした。不運過ぎる……(今後ツアー参加される方で、オンライン申し込みする方は注意してください)。
15人の参加者のうち、偶然にも僕のほかにもう1人、日本人がいました。1週間の休暇でロシアとウクライナに旅行に来ているということで、僕より結構年上の方。滅多に会わない日本人旅行者との遭遇に驚きつつ、行動をともにさせていただくことにしました。
ほかの参加者はフランス人、ドイツ人、米国人、英国人など先進国出身者ばかり。それも当然で、160ドルは先進国以外の人が気軽に払える金額ではありません。ウクライナ政府は、それでいいと思っているのでしょうか?
ウクライナ人の女性が1人参加していましたが、ドイツ人の付き添いのようだったので、お金はドイツ人が出していたのでしょう。ウクライナ人の平均給与から考えると、160ドルは日本人の5万円くらい、いやそれ以上の感覚のはずです(高学歴のウクライナ人の若者が国家公務員的な仕事をしていて月給7万円くらいと言っていました)。
時間が来たので、マイクロバスに乗り込む。首都キエフからチェルノブイリ区域までは片道2時間ちょっと。その途中、バス内で『THE BATTLE OF CHERNOBYL』というドキュメンタリーを見せられました。内容はチェルノブイリ事故発生から何が起こって、どう時が進んでいったのかを細かに追ったもの。1時間強の放映時間でした。チェルノブイリ原発事故について「実はよく知らない」という人はぜひ、この先に進む前にWikipediaの解説(外部リンク)をチェックしてほしいです。
チェルノブイリ事故後、今でも原発を中心として半径30キロ圏内は居住立入禁止区域となっていて、それを通称“ゾーン”と呼んでいるそうです。
そのゾーンに入る時に検問があり、兵隊のチェックを受けます。パスポートを見せて通り抜けたのですが、驚くべきことに荷物検査がありませんでした。
「テロリストが来ても大丈夫なのか?」とガイドに尋ねると、「ウクライナをテロリストが襲うメリットがないから大丈夫だ」と即答。……ともあれ、こうしてゾーンの中に入り込むことができました。
バスに乗りながらいくつかのモニュメントを回っていくのですが、その中に消防士のモニュメントがありました。彼らは事故発生直後、炎上した現場を鎮火するため、何が起こっているのかも知らないまま突撃し、闘った消防士ということでした。恐らく、彼らは相当量の被曝をしたのではないかと思います。
今の放射線量はどうなのか。参加者の何人かが放射線量をチェックできるガイガーカウンターを手に持っていたので、時折、僕もその数値を見せてもらったところ、毎時0.1〜0.2マイクロシーベルトと、ゾーン内とはいえそれほど高くない数値。
しかし、ガイドがバス運転手に指示して、ある場所で止まると、ガイガーカウンターが異常な反応を示しました。クルマの中にいるのに、ガイガーカウンターは毎時30マイクロシーベルトを超えていたのです。
そこは、大量の放射線を浴びたことで森の色が赤く変わったと言われている、通称“レッドフォレスト”。今は見た目は普通の森になっていますが、放射線量はまだ高いようで、「あそこには人は住めないな」と思いました。もちろん僕らは30秒ほどでその場を立ち去ったので、人体には影響がないはずですが。
通常、ガイドが指示した道や場所を行くのですが、当然ながらそれらは安全がある程度保証されている場所。ゾーンの中ですでに放射線量が低いところのみ入れるというわけです。レッドフォレストのように放射線量が高いところに僕らは行けません。
僕が一度、道の横の林に少しだけ立ち入ろうとしたら、ガイドから「そっちは危ないからダメだ」と指示が。「見た目では何も分からない。ガイガーカウンターが常時必要だ」と思いました。
僕らは「万が一身体や持ち物に何かあっても、自己責任である」という旨の書類にサインをしてから参加しています。自分の身は自分で守らなくてはなりません。
●ゴーストタウンと化した街
その後、僕らはチェルノブイリ原発の近くにある、事故後ゴーストタウンと化したプリピャチ市を訪れました。事故前は4万8000人が住んでいたその街は事故後、政府によって強制疎開となったそうです。
ガイドの話によると、住民はみんな「3日間したら街に戻ってくるので、パスポートと財布だけ持って退避しなさい」と言われたそうです。が、実際はその後しばらく、彼らがその街に戻ることはできなかったそうです。そして今はごく一部の人を除いて、一般の人はその街には住めないとされています。
ここからいくつか、プリピャチ市の写真を並べます。
25年間、人が住んでいない街には草木が生え放題。事故後、ソ連政府が除染ということで、建物内の家具などはすべて破壊し、外に放り出し処分したそうです。なので、建物内はただのガレキというか、廃墟でした。
また、明らかに演出っぽいと思えるような場所もいくつかありました。なぜなら、「そう見せたい」という意図がヒシヒシと伝わって来たからです。道端の人形や、横転したままのゴーカートとか、明らかに不自然なものが多くありました。
聞くところによると、現在の石棺は老朽化していて、早く次の新シェルターを建築しなくてはいけないのですが、建築予算が厳しいということ。お金を集めるため、全世界に対して、チェルノブイリ事故の悲惨さをあえてアピールをしているようにも見えました。まあ、ここでは大人の事情は置いておきましょう。
●入れるのは施設の300メートル手前まで
プリピャチ市を見学した後、いよいよ原子力発電所へ。
そこにはモニュメントがありました。僕らは発電所の300メートル手前までは進むことが許されましたが、さすがにその先には入れませんでした。
その後、作業員の人たちが昼ご飯を食べているところで僕らもご飯を食べて、最後に放射線量のチェック。
ただ、おかしなことに、放射線量はツアー参加者がセルフチェックすることになっていたんですよね。もし許容値を超えていても、スルーできちゃうじゃないですか。管理体制がズサンだなと思いました。
そのセルフチェックの放射線量チェックを2カ所で受けて、全員問題なし。最後に検問を抜けて、ツアー終了です。
ツアー中、ドイツ人に声を掛けられた。
「日本はフクシマの後、原発をやめる方針で決まらないのか? ドイツはちょうどフクシマの2週間後に選挙があったこともあり、国民が原発反対し、政治家も受け入れて、国家として原発をやめる方針で動いているよ。フランスからの電気供給もいずれは止めて、再生エネルギーに転換するつもりだ。日本はどうなんだ?」
僕が何と答えたかはご想像にお任せします。あなたなら、どう答えますか?
●ウクライナと日本の結び付き
翌日、キエフ市内にチェルノブイリ原発事故ミュージアムがあるというので訪れました。入場料は100円ちょっとで、写真を撮るには追加で200円ちょっと払う必要があります。
館内の解説はロシア語とウクライナ語がメインで、英語もほぼないので現地人がいないと悲劇。たまたまウクライナの友達が一緒にまわってくれたので、ザックリ説明してくれました。
館内に入ってまず現れたのはこちらの展示。「そうか。ウクライナの人たちはフクシマのこと、日本のことを心配してくれているんだな」と。
その後、館内を歩きまわると、チェルノブイリ事故についての資料や遺物などが展示されていました。原発事故収拾に従事した人や関係者の写真が大量に並んでいるのですが、写真の右下に核マークが付いているものがありました。説明によると、それは「原発事故後に被曝が原因として亡くなった人」という証明シールとのこと。
なぜシールなのかというか、その対象者は今も増え続けているからということでした。亡くなった人が被ばく者で、死因が被ばくであると判定されれば、その写真に核マークシールを貼っていくということなのでしょう(死因が本当に放射線なのかは疑問の余地がありますが……)。あと10〜20年経ったら、ミュージアムの写真には核マークがもっと多く付いているかもしれません。
また、ミュージアム内には最新機器としてタッチパネルがあり、アルファベット順で被ばくした人たちの名前を検索できました。
博物館の終盤、「なぜかやたらと日本語が目立ってきた……」と思ったら、「そうか、チェルノブイリと日本の関係はフクシマだけじゃないんだ」と気付いた。フクシマの前に、僕らはヒロシマ・ナガサキでつながっていたんです。
そこには広島の人たちからのチェルノブイリ事故被害者への応援メッセージや、贈られた千羽鶴などが飾られていました。それもあってか、ミュージアムの運営には日本が多大な協力を行っているようです。「まさか再び日本でフクシマのような事態が起こるとは、一般人は誰も考えていなかっただろう。僕らはヒロシマ・ナガサキを経験したのに、フクシマも起こしてしまったんだな」と、改めて考えさせられる場所でした。
●今でも電力の半分を原子力発電に依存するウクライナ
ゾーンへのツアー参加と、チェルノブイリミュージアム見学。こうして、僕はチェルノブイリ事故のその後の“場所”自体は巡ったことになります。
しかし、僕が知りたいのは過去ではなく“人々の今”。そこで僕はウクライナ滞在中、出会った人たちとチェルノブイリ事故のその後について色々と話を聞きました。僕が会って話を聞いたのは22〜35歳くらいまでの若者たち。彼らは当事者というより、当時は子どもだったり、生まれていなかったりといった立場です。10人くらいとチェルノブイリについて話したのですが、中にはウクライナの国営企業でエネルギーに関する仕事をしている人もいました。
僕が無知だっただけですが、彼らに教えてもらった事実で驚いたことがありました。それは、ウクライナは今でも電力の半分ほどを原子力発電に依存しているということ。
これには驚きました。いや、しかしそれ以上に驚いたことがありました。
ウクライナ人の多くが、それをのみ込んでいるのです。原発稼働に対して強い疑問を持たずに、「安価な電力供給のためには仕方ない」という意見が多かったです。人によっては「飛行機事故と一緒だよ。利便性とリスク。どちらを取るのか」という意見も。
彼らの姿勢には理解できる部分もありますが、「原発をやめるための努力をしよう(新エネルギーを進めていこう。代替しよう)」という意志がほぼ感じられなかったのが僕には最も衝撃的でした。すでに多くの人々にとってチェルノブイリ事故は過去であり、歴史となっていました。あれから25年、それも理解できなくはないですが、何とも言えません。
フクシマの事故後も、特に人々の考えには変化がないようです。これにも驚きました。もちろん、国民全員ではないでしょうが、少なくとも僕が会った10人は全員そうでした。
そういえば、チェルノブイリのゾーンでも、ミュージアムでも、一般のウクライナ人からも、誰一人として「原発管理者の責任追及」という声が聞かれなかった気がします。あたかも天災だったかのような、自然がもたらしたかのような、そう思わされているような気さえしました。「仕方ない」というような。
しかし、その姿勢には違和感がありました。十二分に責任追及はしたのでしょうか? 何か裏で大きなチカラが動いているように思えました。
●大量の電力供給か安全性か
今回、多くのことを考えさせられたウクライナ旅行。
日本は少なくとも脱原発を掲げて、再生エネルギーの技術革新に取り組み、近い将来に原発を他発電手法によって代替していく努力をしていく必要があると思います。そうすれば、そこから世界中の国を変えていける可能性もあるのではないのでしょうか。
「僕らはヒロシマ・ナガサキがあったにも関わらず、フクシマを起こしてしまったんだ」と改めて考えさせられました。人災だと言われていますが、人間であるがゆえに完璧はありえません。0.0000001%のリスクでも、一度起こると人間に管理不能なのであれば進めるべきではありません。
大量の電力を消費する現代のライフスタイルを急激に変えることが難しいのも事実。ウクライナの人々はそのリスクをとって、ライフスタイルの維持を選んだのでしょう。「それは間違いなのか」と言われると、非常に難しいところ。ただ、原発事故が起きたら近隣諸国にも被害が及ぶ可能性があることも考えると……。僕ら日本人は何のリスクをどのようにとるべきなのか? 今一度、自分自身でも考えてみたいと思います。
最後に、今回の震災によって地震や津波の直接の被害が大きかった宮城や岩手は世界から忘れ去られる流れがあり、フクシマのみが世界中の人の注目を浴びている気がします(それも多くの海外の一般人はネガティブにフクシマに注目をしているように思われます)。これについても日本政府はしっかりと考えて、対策を講じていかなくてはならないでしょう。
いや、「日本政府に頼っていても大きな期待はできないから、僕ら日本人ひとりひとりができることをしていく必要があるんだな」と強く思いました。
※僕は自己責任でチェルノブイリツアーに参加しましたが、この記事を読んで参加する人も自分自身で状況を確認し、自己責任で参加するようにしてください。
[太田英基,世界一周サムライバックパッカープロジェクト]
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