Nov 23, 2010
がん治療は放射線治療が主流
以前は、がんに言えば、悪いところを切除する方法が重要であると述べた。しかし、それだけでは転移の可能性があるため、がん組織を徹底的に潰す必要がある。このため、最近では、放射線治療をする病院が多い。放射線外来には、多くの患者が集まっている。今、がん治療の主流は、放射線治療である。怖がらずに、放射線治療を受けてみよう。免疫療法といえば、人間にあらかじめ用意されている免疫についてのために、陳腐な医療だと思われるかもしれないが、実は本来の力に注目したの厳然とした最先端の医療です。日本での立地も免疫療法は、非常に高度な医療分野です。まだなじみのない言葉かもしれないが、お世話に時が来るかもしれませんね。
「忍耐力がつく」「礼儀が身につく」など、子どもたちにとってさまざまな効用があるといわれる囲碁。川崎市麻生区の市立千代ケ丘小学校では、ボランティアと連携し、児童や地域の子どもたちに普及を進めている。
パチ、パチ―。放課後や日曜の校内に碁石を打つ音が響く。子どもたちが楽しそうに打つ姿は、今では日常的な光景になった。
「考える力や忍耐力が身につき、伝統文化の継承になる」と、川崎等校長が囲碁を取り入れたのは着任2年目の2007年2月。囲碁インストラクターの同校OBを招いた入門講座を4〜6年生を対象に開き、好評を博した。
手応えを感じた川崎校長は、2カ月後に部活動として囲碁クラブを創設。その年の夏季特別講座に、プロ棋士がマナーや基本ルールを教える学習活動を設けた。09年度からこの講座を総合学習の時間として教育課程に位置づけたことで、晴れて囲碁も「授業」に。講座へのプロ棋士派遣などの支援を行う日本棋院によると、学校で囲碁を授業扱いすることは珍しいという。
また、校内を開放して、同校の児童だけでなく、地域の子どもたちが囲碁を楽しめる場を創出している。
毎年8月に開かれる全国大会の県代表に、同校児童が2年連続で選ばれるなど、着実に実績を挙げている。一方で、川崎校長は「子どもたちに落ち着きが出てきた。思考力は確実についている。目上の人に対して礼儀正しくなった」と教育面での成果を実感し、「囲碁で培ったマナーが学校全体に広まれば」と期待する。
これらの活動を支えるのが、保護者らでつくるボランティア団体「あさおファミリー囲碁クラブ(AFIC)」だ。同棋院から認定された「学校囲碁指導員」のメンバーが、放課後などに児童を指導。「先生」は定年を迎えた60代が多い。「子どもに囲碁を教えたい」「地域に貢献したい」と思いはさまざまだが、教えることで指導員の励みにもなっているという。
27日には市立麻生小学校で、区の名前を初めて冠した「あさお子ども囲碁大会」が開かれる。AFIC主催の同大会は、「マナー賞」も設け、姿勢の良さやあいさつができるかを審査。AFICは「礼儀を伝承していく場にもしていきたい」。囲碁歴3年で五段の、5年生福田章太郎さん(11)は「すべてストレート勝ちして優勝したい」と意気込む。
子どもたちからは「計算が速くなった」「先を読む力がついた」といった声が上がる。川崎校長も、「学校全体に囲碁の輪を広げたい」と話している。
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□21日、東京都千代田区の日本棋院大ホール
■多くの棋士やファンが「巨人」しのぶ
囲碁界初の文化功労者の顕彰状が飾られた祭壇で、穏やかにほほえむ遺影。対照的に、両脇のモニターには、険しい表情の写真が映しだされる。タイトル戦終局直後に撮影されたそれは、切れ味鋭い棋風で「カミソリ坂田」と呼ばれた棋士の顔そのものだった。
本因坊7期、十段5期などタイトル獲得数64。平成12年に引退するまでの65年間に通算1117勝(654敗16ジゴ=引き分け)をあげ、10月22日に胸部大動脈瘤(りゅう)破裂のため90歳で死去した坂田栄男二十三世本因坊のお別れ会には、タイトル戦で何度も激突した林海峰名誉天元や小林光一九段ら多くの棋士、アマ七段の与謝野馨元財務相やファンら約300人が訪れた。
「棋士として理事長として棋道発展に尽くされた。後に続く者のお手本だった」。お別れの会実行委員長の大竹英雄・日本棋院理事長は深々と頭を下げた。
「治勲はオレが強くしてやった、とおっしゃっていたそうですね」。弔辞に立った趙治勲二十五世本因坊が振り返る。30歳あまり年下の趙二十五世本因坊は、坂田さんに13連敗したことがある。初のタイトル戦(昭和50年の日本棋院選手権)も2連勝後に3連敗。「シノギの坂田」とも称された勝負強さに圧倒された当時19歳の趙二十五世本因坊は、悔しさから必死に鍛錬。タイトル獲得数を史上最多の71に伸ばしている。「“オレの時代に比べて棋戦の数が多いから(タイトル数を)抜けたんじゃねえか”と、天国から叫んでおられるでしょうが、性格の悪い私には聞こえません」と笑わせながら、囲碁界の巨人の功績をたたえた。
一方で、「盤を離れるとやさしい方。3年前、米寿のお祝いの会にお招きいただくと、“きょうは君の棋聖防衛のお祝いも兼ねているんだ”と言っていただき感激しました」と山下敬吾本因坊は懐かしむ。
参列者には「幽玄」と揮毫(きごう)された扇子が渡された。勢いある筆致が、日本囲碁界を叱咤(しった)激励しているようだ。(伊藤洋一)
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